Sunday, July 25, 2004
memo
☆デブよれに書評をのっけてもいいだろう。書評サイトはまた別に作るにしても、あそこはあそこで書評と構えずにさらっと書いてしまえばいいんじゃないか。
☆ジョン・ソールを再読のこと。 stingerを再読のこと。牧野修を読んでみる。
☆連作短篇ではなく、コラージュというセンス。様々なtextを取り入れたcollage作品。日記形式。
☆ファンタジーノベル大賞にも出せることを発見。なぜかというとマジックリアリズムだからだ。
☆彼ギタ、CDレヴューなど、音楽の原稿も書いていくこと。
☆自動書記ではないけれども、アドリヴで小説を書くこと。
☆斬新な言葉遣いの練習にもなるので、詩をなるべく書くこと。
☆発想の膨らませかたとして、得られた発想から連想される事柄をいくつか挙げ、それを作品の設計図のなかに置いてゆく。そして、その事柄のひとつひとつにエピソードをつけてゆく、次に各エピソードを繋げる。
◆発想から具体的なテーマを考えなくてもいい。ただのイメージだけでもいい。
◆エンディングじはどこでぶった切ろうが一向に構わない。もとより物語を完結させる必要もなく、テーマさえ伝わればいいのだから。100枚程度なら、むしろどれだけ潔くぶった切れるか、だろう。もうそれはセンス以外のなにものでもない。
▲村上龍「タナトス」より。
ストーリーは本当にシンプルであり、1行で説明可能。つまり、俺のやりたいことそのものだが、このように所謂メインのストーリーは、むろんなくてはならないが、ごくごくシンプルで起承転結でいいくらいだ。
つまり、龍は物語だけで物語を構成するというアフォ作家ではないらしい。
物語の構造がメインのストーリーよりもマージナルなサブストーリーというか、エピソードで埋め尽くされている。物理的な量でも周縁の方が、圧倒的に多いのだ。
9割がサブのエピソードであり、構造もメインストーリーを遥かに凌駕して、メインと周縁が逆転している。
つまり、メインストーリーが、ド真ん中にどーんと中心を貫いてあるのではなく、メインは太い帯ではなく、か細い糸にすぎないのであって、その切れ切れのラインを幾層ものエピソードという雲が覆っている感じだ。
具体的には周縁をどうするかである。龍のタナトスでは、レイコが話す矢崎とレイコの数々のSMチックな変態プレイがその殆どである。
長くするコツは、なんといっても回想かな。ほかにもいくらでもあるけれどもさ。それもひとつのことに限った回想ではない。様々な人物の回想がガンガン出てくる。
どこへジャンプするか。まったく脈絡なく読んでいる小説のなかへと飛ぶか。或いは、逆に冒頭の部分は、読んでいる小説内の話とするか。
「こんなに誰かに?にしたことはない」
そこで、カヲルは本を閉じた。
などとして、リアルに展開するものの作中にこれだけで完結してしまうのではなく、何回か登場してきつつ、最後にはまったく別物ではなく見事な融合をみせつける物語。
あるいは単に場面転換でもいいだろう。どんな物語でも直線的に語られることはない。直線的なものでOKなのは、短篇の手法だ。
Aという話と、Bという話がつながらないまま、進んでゆくが、個々の話がとりあえず繋がっていればいいのだ。たとえばBの話が、誰かの夢想の話でも、読んでいる小説の話でもいい。
なんだかわけがわからない素性のわからない話であっても、それはそれで謎の提出だからいいのだ。
言葉遊びでわけがわからないのとは次元がちがう。やはり、読んで理解が出来ないとだめだ。苦痛を与えるだけのシロモノとなってしまう。
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